jugemが障害中、避難場所で書いた記事は、
青山ブックセンター破産の話でした。破産処理まわりの弁護士絡みのこまごました記事を書きました。関心のある方はぜひどうぞ。
写真入りのトラックバックもいただきました。
六本木ヒルズ七不思議
このドアはずっと閉まったまま。そして、消えていくのでしょうか。
今日、あらためてあちこちを見ていたら、カトラーさんの記事が目にとまりました
。「青山ブックセンター倒産〜出版業界おわりのはじまり」というのです。カトラーさんらしい、するどい分析です。
年間3%ずつ売上がおちていくという全体としての「縮退減少」と、「『世界の中心で愛を叫ぶ』や『バカの壁』が300万部を越えるミリオンセラーとなる」という「ベキ乗法則型現象」が同時に働くのは、他の領域での衰退現象と同様な特徴を備えているように見えて、奇妙な感じがします。
出版業界新聞の「新文化」によると、青山ブックセンターですが、民事再生の可能性がありそう、とのこと。「民事再生の申立て期限は8月2日午後5時まで」だそうです。
個人的にはなんとか生き残って欲しいと思っています。そして、生まれ変わって、ABCらしい新しいプランを見せて欲しい。
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本に関して、最近、個人的にはかなり考えることがありました。
たまたま仕事で、短いプログラムを人に頼んでみようということになったのです。ですが、頼む前に、ある程度の内容がわかっていなくてはならない。
そこで、Windowsサーバ上で動作する「サービス」という種類の、特殊なプログラムの開発についての資料が必要になりました。サービスという種類のプログラムは、マシンにログオンしなてくも、起動さえしていればバックグラウンドで常に動作している特殊なプログラムのことです。
そこで、少し離れた中野の「あおい書店」という本屋さんにいきました。とても大きな、二階建ての本屋さんです。
あたりまえの話ですが、Windowsの開発に関して書いてあるほとんどの本では、こうした特殊なテクニックに関しては記述してありません。全体の約5〜6割が、画面を作ってボタンを押したときの簡単な動作を説明した初心者向きの本です。4-5割が、データベースを操作するための内容です。残り1割未満。10冊未満の本が、こうした、特殊なアプローチのプログラム開発について書いてあります。
プロフェッショナル向けと称した厚い二分冊の本の後半に、このあたりの説明が少しだけ書いてありました。この本を見つけるのにおおよそ1時間半かかりました。
家に帰って、amazonで「Windows サービス」というキーワードで引くと、そのものずばりの本が二冊見つかりました。所要時間はおおよそ5分です。
そうなのです。表面的に見ると、amazonが圧倒的に早いのです。
ところが、あおき書店で見つけた本の名前は、amazonでは出てきません。つまり、
「アマゾンの検索では、本の各章の内容まで深く入り込むことがない」ということ。個別の章の中に書いてある内容はタイトルにまで出ません。
もうひとつは、本の置いてあるフロアをうろうろしている間に、あれこれと考えたりできること。人は、書棚の間をうろうろ(ブラウズ)しているときには、頭の中でもブラウズしているのです。本を買いに本屋さんに行く、ということが、買う以外の隠された意味を持っているのです。
これを売り場として体現化していくと、アメリカの本屋さんのように、スターバックス付きの本屋さんや、床に座り込める本屋さんになるのかもしれません。
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さて、アマゾンの限界と本屋さんの比較について。
これはかなり教訓的だと思いました。つまり、
タイトルに表示されない情報は、amazonでも検索が難しい、ということ。amazonも、まだまだ改善の余地がありますし、ストレージ(記憶装置の容量)はもっと必要だし、検索スピードも、細かな章立てまでも検索対象にしていくためには、いまの100倍ぐらいにならないとだめだよね、ということ。
さらにいうと、本を出版する人にも大きな教訓が含まれているのかもしれません。
1.amazon的な世界では、内容が豊富な厚い本は売りにくい。本は、内容の多用さに反比例して、タイトルが一般的なものになってしまいがちで、検索対象にひっかかりにくい
2.逆に見ると、amazon型世界が支配的になると、内容自体は深くなくても(って言い過ぎだけど)、タイトルが明確だとすぐに読者に見つけてもらいやすい
3.googleなどの検索エンジンでヒット率が高い言葉を、まんま本にする、という異色の編集企画アイデアもありうるのかも。細かなところまでは書きませんが、amazonやgoogleを意識した本作りってありえます
より正確にいうと、検索エンジンでヒット率上位にあがるものを早期に見いだすテクニック。blogのログを見ていても、これ、なんとなく見えてきます。でも、売れるんだろうか? ちゃんとやれば売れるよね、などと他愛のないことを考えてしまいます。
ただし、ここでも謎は残ります。
つまり、amazon型世界ができあがっているかのように見えるアメリカで、なぜ現在も分厚い本が売れているか。特に技術系。日本ではこうした翻訳物の本がたいがい二分冊になったりするわけで、版数をみるとけっこう苦戦例が多い。国内に関する限り版数もそう進んでいないのです。
一方、アメリカでの分厚い本の作り方/売り方はいまも続いているみたいで、都田的な「amazon検索を意識したタイトル多様化の小分け分冊」という傾向は逆に見えてこない。
それって、どういうことなんだろう?
技術系の本でいうと、ピアソンやオライリーのような、極端に深い内容の本屋さんが、翻訳コストもあるのに、どうやって利益を出しているのか、これも私から見るとかなり謎だったりしますです。
積乱雲の真下なんでしょう。激しい雨が降っている、東京。